先日、インフルエンサー採用という話題について取り上げましたが、同じくらいの時期から聞くようになった言葉に「新卒フリーランス」というものがあります。言葉の通り、新卒で会社に入社することなく卒業後にフリーランスとして生きていくことですね。
どちらも自身のスキルを仕事に繋げていくことは同じですが、前者は会社員、後者は個人事業主とその働き方は大きく異なります。
フリーランスと呼ばれる人たちにも社会人経験を積んでからの独立と、新卒からフリーランス、名乗った瞬間からフリーランスと様々…。
MTRLも多くのフリーランス(ライターさんやカメラマンさん、ヘアメイクさんなどなど)に外注しながら成り立っているメディアですね。
そんなフリーランスに発注している側として、この人、この仕事が果たして向いているのだろうか…と思う瞬間がたまにあるので書いてみようと思いました。
今回は、実際にいたあるフリーランスのライターさんについて。
ライターってどうしたらなれると思いますか? 答えは、名乗った瞬間からです。ライターという肩書に資格はいりませんからね。
ただ、編集サイドとして原稿を見ると、何故この状態で成果物として納品できたのだろう…というスキルの足りなさを感じることが多々あります。編集者はある程度のライターさんよりも書ける人の方が多いので、成果物に対してどれだけの熱量で取り組んだかは納品された原稿を見るだけで分かったりします。
ここらへんは単に潜在能力が低いんだなと思って1年近く校閲や、ライティング諸々教えてきましたが、1mmも成長が見られなかったことがあります。そもそも、フリーランスが金貰いながらクライアント先に教えてもらうとか、どんだけ甘いんだよって話でもありますが、替えが効くからと切って終わらせるのでなく、今回は何故伸びないのかについて考えてみました。
人のスキルには才能と努力の2点が大きく関係していると思います。才能について、ここではえとみほさんが下記noteで書いていたことを参照します。
才能とはつまり一般的なプロであれば見逃さない「違和感」に気づけるかどうか
このnoteは、わりと本質をついていると思うので是非みなさんにも読んでみてほしいのですが、では才能がない人は、ここで言うように恥じることなく、次の面白そうな仕事を見つけて飛びつけばいいのだろうか。
流れ流れてフリーランスのライターにたどり着いた人には、わりと先がない人がいたりするのも事実ではあります。なので、向いてないからと言って次の仕事を探せるほどポジティブでなかったりもします。
編集者目線でスキルが足りないなと感じる人に「何故ライターになりたいのか?」とよく聞くのですが、たいてい「書くことが好きだから」という答えが返ってくる。
ただ、それが本当に文章を書くことが好きなのかは疑問ではあります。例えば2ちゃんねるを読むのが好きだから、Twitterが好きだから、も同じくテキストに触れることが好きという広義の意味にはなりますが、それとライティングスキルについては全く別物だと思っていたりします。
自分の肩書きを背負ってしまったあまり、好きでいることを自分に強いていないか心配なところ。
また、そういう人ほど「努力している」というワードを使いがちなのですが、なんでクライアントから金貰いながら努力してるんだろう…。努力しきって仕上がったあとに仕事してくれませんかね、と思う気持ちをグッと堪えてみたりします。フリーランスの皆さんお気をつけください。
さて、そんなわけで才能がない人がスキルの向上を目指すには、努力しかないと思ったりもするのですが、その努力には方法と方向があると思うのです。
(そもそも努力でどうにもならない部分が才能ということもあるのですが、たいていのレベルのアウトプットまでは努力でカバーできたりします)
努力の方法と方向についてですが、まず方法を細分化すると質と量のどちらかを高速回転させるしかないなと思うわけです。
この方法と方向を間違えると、同じところをグルグルと回るだけなので、1年経とうと1mmも成長してない現象が起こったりします。
あと、本人の言う努力そのものが他の人のしている当たり前レベルに過ぎないことも多いです。努力してない人なんていませんからね。
個人的なオススメはインプットの質を高め(本を読む)アウトプットの量を増やし(ブログでもnoteでも日々書くことを増やす)、それに対しての校閲作業を自分ですること(PDCAを回すこと)です。
また、ここで言うところの「方向性」がアウトプットを増やす=インスタ更新!とかになってしまうと、側から見ると間違っているなと思ったりします(広義にはあってるのですが文章力を高めたい点については遠回り)。
なので、学生時代にテスト勉強してもしても勉強してない人より点数が低かった人は努力の方法と方向が間違っているので、とても非効率だなあと思うのでした。
また、努力の話についてですが、そもそも好きなことなのに意識的に努力しないとできないような人は向いていないと思っていて、好きな人にとっての書くこととは特段努力するという意識で取り組むことでもなんでもなかったりします。
なので、アウトプット地獄の中でキツイ・ツライという感情ばかりが頭をよぎる人は、そもそも向いてないんだなと思って諦めるのも選択肢です。その好きは、たぶん本当の好きではありません。
この好きかどうか分からない問題は、独立ライターよりも新卒フリーランスライターに多いと思っていて、要因としては就職活動を通しての自己分析が足りてないんだなと思ったりしています。また、参入障壁の低いライターを逃げ道に選んでいるパターンもあります。これらは、ライターという仕事全体の評価を下げてしまいかねないので、仕上がっておいてほしさしかない。ただ、これらは新卒フリーランス否定ではありません。
書く仕事につきたい人に「私はライターになれると思いますか?」と聞かれることがあるんだけど「なれないと思う!」って私がもし答えてムッとするなら、なりたいってことだから、私の意見なんて気にせず夢に向かってひたすら努力したらいいと思う。恨まれたくないから「なれるよ」って言うけど。
— はあちゅう (@ha_chu) January 31, 2019
ここまで思うところを色々書いてきましたが、才能のない僕たちは努力でしか能力を向上させることができない側の人間です。また、フリーランスという立場の人間にとって、自分という存在そのものが会社としての看板であり顔であるというこを忘れず、そして、ライターという職業はクライアントワークであるという重要な点を今一度確認していただきたいなと思うのでした。
クライアントワークで最優先されるものは、成果物の質ではなく納期です。納期第一。特大ブーメランにならないように頑張りましょう!
それでは、なかなか煽ったタイトルではありましたが、才能と努力についてのお話でした。次のblogではSNSについての今っぽい事件について書きたいなと思います。
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