こないだ、ネガティブの塊のような人に出会いました。負のオーラで周りの気温が5度くらい下がるような…。
元々こういうタイプの人は周りに一定数はいて「ネガティブを自分の個性にしてしまっている人」や「ネガテイブ要素を自己開示して人と繋がるツールにしている人(その時点で相手から下に見られる)」とタイプ分けしてみると様々なのですが、ややこしいなと思うのは「後ろ向き」な姿が他人の目からどう見られているのか自分で理解していないこと。(笑顔の下で哀れんでるよ!)
人って、自分より終わってる人を見ると無性に安心感を覚えるじゃないですか。こうはなりたくねえなぁ、みたいな。僕も自信を失いかけるとTwitterを開いて今確実に自分よりも絶望してる人を検索して見つけて「よっしゃ!まだ頑張れる!」って小さな燃料にすることがありますもん(笑)。単位ヤバい時に自分よりヤバそうな人をみて安心するみたいな。この行為自体とても不毛だけど、一瞬の心の平穏は得られる。けれど、人は上を見ていなければ次のステップを上ることはできないとも思うんです。
自分が、そういうマイナスの種をまいて育った出来事や寄ってきた人は、やっぱりマイナスでしかなくて、今度は、その同じ(マイナスの)レイヤーから抜け出すことを非難されるし足を引っ張られる。これを”傷の舐め合い”と呼ぶのだけど、この行為自体も生産性はゼロである。ネガティブマンにとって、人の成功は妬みの元。
人は、ついつい見返りを求めてしまいがちな生き物だ。だけど、努力をせずに見返りだけ求める人も多い。そして、努力していると言う人のほとんどは努力していないし、それが仕事であれば努力は当たり前の話。「努力してて偉いね」なんて褒めてくれる人は、クソ舐めてる人だと思うし現実にはいない…。当たり前が偉いわけないじゃん、常識的に。
なので、仕事で怒られてばかりで、頑張っても上司が褒めてくれない、認めてくれないなんて言っている甘ちゃんは、自分が本当に努力してるのか胸に手を当てて問うてみたらいい。方向性の間違った努力は努力のうちに入りません。
この立場になると褒めるって仕事じゃないと思うけど、組織論的なインセンティブになるのかな…。最近は若い子と話をすると「褒められて伸びる」を自称してくる人も多いですが、これはただのリスクヘッジだなと思う。そもそも褒められたいって承認欲求強くね?
なかなか話が逸れてしまいましたが、その(ネガティブな)人の話を聞きながら、頭の中でこんなことを思ったのでした。
※まるっと仕事関係の話ではありません!
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